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そろそろ刃の替え時だな と思いつつ毎回使い続けてしまう。
刃の状態が悪ければ何度も重ねてまた刃を走らせる。
切れたり切れなかったりストレスも溜まる、作業もスムーズではない。
けれどももう少し使ったら刃を替えようなんて毎回思う。

いい加減替えよう やっと思い腰を上げて取り替えた後の切れ味の良さ、
何でもっと早く替えなかったんだろうと毎回思う。

今日は殊更それを強く感じた。
切れ味の軽さ滑らかさに仕事が止まらなくなった。
もうちょっと、もうちょっと…
と切れ味の気持ち良さに仕事が止まらなくなった。
滑らかさは仕事振りにも伝播して、丁寧な仕事を生んだ。
切れ味を体現したくなる。

いい状態でいること
いい状態を知ること
の大切さが身に沁みた、二日寝込んでの仕事復帰日。
作ったモノにそれを作った者の人となりが表れるとよく言うけれど。

今日はいい意味でぼんやりとしていてゆるい雰囲気の服に出会った。
省く と言うか、作る人に無理のないモノ作りを感じる服だった。
話を聞くとその服を作った人は、洋裁の勉強は独学で、新聞紙を広げてパターンにし、近づいてくる愛犬との攻防の末 裁断を終えその服たちを仕上げていると言う。
モノを作る上で「恵まれた環境」ではないかもしれないけれど、その環境を楽しんだ上に成り立つモノ作りを感じた。(もしかしたらこれが一番恵まれている環境なのかもしれないけれど。)
その服の持っているゆるさはその人の、環境を寛容するモノ作りが現れているんだなぁと思った。
作業する中で不自由に思うこともたくさんある、けれど素直な人はその不自由の中、モノ作りに対して真摯に向き合うようになるのかもしれない。

そういうものは巡り巡ってその人の作ったモノに現れて、表れる。
ということをその服から教えてもらった。

ありがとうございました。
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割れました。
高価なものではないけれど。

知り合いの陶芸家さんの作品。この前まで住んでいた大好きな街の仲のいいご近所さん。
二つ買ったうちの一つが割れました。好きだった模様が出てた方。
割らないように、割られないように戸棚の高い所に置いてたら、おばあちゃんが落としてしまいました。
ショックだったけど
「これは金継ぎをするチャンスだ!」と結構前向きなショックでした。

で、欠片を拾い集めながらこの器を造った方のこと、その方との思い出、その器で飲んだもの、一緒に飲んだ人、その器でお茶を出した人のことなどその器を巡るたくさんの思い出の断片がすごい勢いでどんどん蘇ってきたのです。

5.6年をびゅーっとその器で遡りました。

モノを買うと思い出がおまけで付いてくるんだなぁと実感したのでした。
眺めてるだけでは思い出せないたくさんの思い出が、器が割れたことで思い出せました。

あ、
これは器が私を慰めてくれたのかもしれない。
器が持っている記憶を私に飛ばして慰めてくれたのかもしれない。

愛おしい奴め。
小さな子どもの頃、リカちゃん人形を一つ持っていた。洋服も一組だけ持っていた。
あまりプレゼントの習慣が無い家だけど、たった一組の洋服は確かクリスマスプレゼントにサンタさん(一応)からの贈り物だったと思う。
その洋服はバブル世代のOLが着ていそうな、青と黒のチェックのウールのブルゾンに黒いタイトスカートだったはず。冬の贈り物だから冬服。
一組しか洋服を持っていないから春が来ても、夏が来てもずっと冬のOLスタイルのままだった。
他の友達は着せ替えの洋服を持っていた。うちのリカちゃんは「着せ替えないリカちゃん」だった。
おねだりしたところで買ってもらえない…
そんなある夏の日、祖母が枕カバーを縫っていた。
その生地は地元の五・十市の布屋で一緒に選んで買った、空に雲の模様の生地だった。いつもの「柿の種」の缶(裁縫箱)を持ちだして手縫いでチクチク。
リカちゃんの洋服、買ってもらえないなら…
「ばぁちゃん、リカちゃんの服作らんる?」
「できるこてー。」
そんなやり取りだったと思う。
枕カバーを作った残りのハギレをリカちゃんの身体に巻き、おおよその寸法を測り、布を切り、縫い始め、ゴムを入れ…
「できたよ。」
と筒状のワンピース、ウエストを共布の紐でキュッと結んで見せてくれた。
リカちゃんに夏が来た。リカちゃんの表情も明るくなった気がした。
あまりにも雰囲気の変わったリカちゃん。そのワンピースに合わせて迷いなく髪を短く切ってしまうほど私は嬉しかった。

(その後、モノ作りに励んだわけではなく、不器用だし面倒くさがりだし…  家庭科大嫌いだったのです、14歳までは。)

買えないならば作ればいい、それは思っているより簡単なこと。
そんな風に祖母の姿に教えられた気がします。
だから私は祖母に教えてもらったことを誰かに伝えたいなと思い、作業場を飛び出して誰かの目の前でモノ作りをしたいのです。

モノを作る原点である祖母は、縁側の作業場をこっそり覗き私の姿を見て喜んでいます。
「おらに似て“はつめ”らねぇ」と。


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器用ですね。
昔から家庭科とか得意だったんですか?
学校でいろいろと勉強するんですね。
職人ですね。

頻繁に言われるこの言葉たち、全てに対して私の思いは いいえ です。

残念ながら器用ではないです。
不器用だから、間違わない方法や繰り返して楽な方法をどうにか見つけているのです。初めてやることに関しては泣けるほど不器用です。

家庭科も大嫌い、美術も図工も苦手でした。特にミシンなんて、もう、嫌で嫌で仕方がありませんでした。
でも、欲しい洋服が手に入らないなら作ればいい!と思ってから少しずつできるようになってきました。

学校ではいろいろ学びますが、この言葉を言われる時にやっていることは、だいたい学校では学んでいないことです。学校では基本的なパターンと縫製技術(デザインは学んだとは思ってない)。卒業後、たくさんの出会いがあり、こっそりしっかりそこからいろんなことを吸収し、見よう見まねでやりはじめたのです。

職人ではないですね。
口がすぎます。

「やってみたい」の気持ちだけで、18年間やっているようです。いろんなこと。

でも、なんでもできるわけじゃなく、(当たり前ですが)できることしかできない。そのやれることをやる、ただそれだけなのです。キュッと狭く。そしてできることは本当に少ないのです。

胸を張って言えることは、道具と仲良くなることがうまくなったこと。だからミシンも上手く踏めるようになったし、苦手だったアクセサリーも少しずつ作れるようになったと思います。

これからまた誰に出会って何を得て何を作り生み出していくのか、自分でもとても楽しみです。

そして、「何者ですか?」ともよく聞かれますが何者でもないただのイカラシです。