行ってきます と出たドアに ただいま と帰ることが当たり前のことではないと気付いた。
いってらっしゃい と見送ってくれた人の元に、場所へ、帰ることが難しいこともある。
日常にあるものほど尊さを忘れてしまいやすい。

上空は厚い灰色の雲に覆われ、ここを離れた時と同じ寂しげな雨の景色。
三年前はまだ厳しい冬の終わり、今回は少し冬が明けるのを躊躇したような春の始まり。

前回最後の滞在先、行ってきます と出たドアに一番最初に手をかけに向かった。
旅の疲れと緊張と三年の月日を溶かすようにゆっくりと再会の興奮を楽しみながら過ごす。

翌日、友人とは夜合流する約束のため昼間はご主人と生地の買い出しにGarment Districtへ向かう。
三年前働いていたエリア、記憶の地図を頭の中に広げ目当ての生地を探して右往左往する。
彼女らしいものをと とにかく必死に探し回る。

仕事終わりの友人とブライアントパークで合流。
三年前は噴水も凍る真冬で図書館とアイスリンクをひとり眺めていた。今回は青々とした緑の芝生を湛えた公園の中、元同僚も連れ立っての三年振りの再会。
長く話をする時間を持つ代わりに少しの会話の中、お互いの表情にそれぞれの三年間を見る。

またね と改めて近いうちに会う約束をして別れる。
この街で交わすお別れの言葉は儚くも明るい印象がある。

" またね " と手を振る。
笑顔で別れる、また会えたらいいね と。

ニューヨーク製作滞在記 -03- 13 05 2016
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5/6〜19 までNYに滞在しています。
お時間許していただいた方々にその理由と滞在記をお伝えしたく、少しずつの発信ではありますがここに記します。
三年振りのNYでの活動を、過去とこれからを強くしなやかに結ぶものに。
嬉しい知らせは突然やってくる。
でもよく考えてみると勝手に準備が整っていたりもする。

学生時代からの友だち、在学中も一緒にコレクションブランドのアシスタントをしたり、卒業後の就職先も同じ。ニューヨークのスタジオにも私の帰国後に働き出した。
これだけ同じ景色を見た人はいないと思う。
楽しいことも、辛いことも、ハラハラすることも、苦しく腹が立つことも、眩しいほどの場面も。
同じようなことで悩み、同じようなことでも喜びあったとも思う。

ニューヨークで働き続けている彼女から
「ウエディングドレスを作って欲しい」とメールが来た。
大切な友だちの祝福を飾れることも嬉しい。けれど彼女からのオーダーは私にとってさらに大きな意味を持つ。
いつか仕事で帰りたいと思っている街に住む彼女から仕事の依頼。
わたしが挫折してしまった街で活躍し続ける彼女を通して自分が作ったものがその街に戻る。しかも、自分が改めて始めた針と糸を持つ形で。

大きな大きな煌びやかな仕事ではないかもしれない。
いや、比べることなんてできない、とても穏やかで幸せな仕事。

日本で作って送って欲しい
くらいに彼女は思っていたようだけれど、輸送やフィッティングの問題もある。何よりも私に頼むのなら!と考えニューヨークで製作することを提案した。
ご主人も共に快諾してくださり、ニューヨークを再び訪れることが決まった。
その日はちょうど三年前ニューヨークから日本へ戻ってきた頃。
嬉しさと不思議な巡り合わせ。

渡航まで二ヶ月半。
この話を自分のことのように喜んでくれる人たちに出会えたことにも感謝しかなかった。
いってらっしゃい
と言われるたびに涙がこぼれないように必死だったんだ。

針と糸を持つことを続けていてよかった。
だから出会えた人、足を運べた場所がたくさんたくさんある。
これからもきっといろんな景色を見せに私を運んでくれると思う。

ニューヨーク製作滞在記 -02- 12 05 2016

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お時間許していただいた方々にその理由と滞在記をお伝えしたく、少しずつの発信ではありますがここに記します。
三年振りのNYでの活動を、過去とこれからを強くしなやかに結ぶものに。
遠く遠くまで行ったからこそ戻りたい景色を強く思い出す。
離れれば離れるほど自分の生まれ育った環境に想いを巡らす。

何ができるんだろう と帰国後自分に問うた中でしっかりと浮かんできた「針と糸を持つこと」。
これを自分にできるかたちでもう一度始めるために新潟に帰ってきた。

新潟に戻って来た理由を聞かれるたびにニューヨークでの経験が思い出される、あの時期がなければきっと新潟にも帰ってきていないから。
その度にチクリと小さな痛みを感じながらまた行きたいなと思っていた。
小さな仕事であっても、短い期間であっても、ただ 旅行 ではなくそこへ戻りたいと思っていた。
5年後、10年後でもいい、戻るべくして戻りたいと思っていた。

そのためにここでできることを少しずつ、少しずつしっかり形にしていこうと決めた。
わたしにできること、誰かのために針と糸を持つこと、誰かと共に針と糸を持つこと。

ニューヨーク製作滞在記 -01- 11 05 2016
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初めてのニューヨーク、クィーンズのアパートの屋上からマンハッタンを眺めることができた
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仕事を終えて少し歩くとエンパイアステートビルがひょっこり現れた
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朝ブライアントパークを少し歩いてから仕事へ向かった
大きな大きなかさぶたを無理やり剥がすように離れた場所がある。
仕事を通じて過ごした日々は楽しく、美しく、辛く、時に惨めだった。
楽しい思い出だけならば気軽にいつでもどんな理由でも帰ることができたかもしれない。
そうではない場合、自分自身が納得する理由でなければ容易に帰れない。
初めてその場を訪れることを決めた覚悟とは全く違う不安と決意が滾る。
観光ではなくて必ず仕事で戻ってくると決めた。それがいつになるかわからないけれど、簡単に帰ってくるものか と滞在数ヶ月のうちに感じた全ての感情が湧き立つ中その街を発った。
輝かしい経歴にもなった、けれどその分自分の中に射した影もまた大きかった。

2013年2月。冷たい雨の中、もうすぐ冬の明けるニューヨークを後にした。
誰にも説明しきれない気持ちは飛行機の中、堰を切ったよう流れる涙に変わるしかなかった。

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三年振りのニューヨークでの活動を、過去とこれからを強くしなやかに結ぶものに。
そこに宿るものを知りたくて
そこに宿したものに触れたくて
惹かれる

言葉を必要としない そのもの の佇まい