ときどき立ち止まって自分の今いる場所を確かめるように、何も無いところから何かを生み出すことがわたしには必要です。
「 と イカラシ」とわたしのバランスを取る作業。
12/12〜20 医学町ビル101号室でインスタレーションの製作と展示を行います。

すごく大きな挫折をした時に、自分は何も生み出すことができないんじゃないか と不安に駆られた。
と同時に、救いを求めるように 何かを自分の手で生み出さなければいけない という衝動も生まれた。
アートには興味があったけれど、作品は作ったことがない。
でも、ここでならできるかもしれない と思えた場所を勢いで借りた。
何も無いところから何かを生み出す作業は今まで体験したことの無い辛い作業だった。
わたしに何ができるのか、と問い続ける作業。

三ヶ月の製作期間を経て完成、
五日間、約200人のお客さま、今に繋がるたくさんの出会いがあった。

作品の搬出作業をしながら五日間のいろんな景色を思い返して自分にできることがしっかり見つかった。
わたしは 針と糸を持つことができる
これを心から断言できた。そして挫折をしっかり受け止めることができたと思う。

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新潟に帰って2年、特にこの1年は「 と イカラシ」 として突っ走った。
夏の終わりころ、どこかわたしの中でバランスを崩したような感覚が芽生えた。
このまちで衣服を作ることはできた、でもわたし自身はこのまちで何をつくることができるんだろう。
幸いにも表現したい場が見つかったので少し落ち着くであろうと思った12月に部屋を借りた。
日にちも場所も早々と決まっていたけれど、具体的なものが見えなかったので告知をギリギリまで遅らせた。

その場で材料を広げてできること可能な時間の中で。
ただそれだけ。

誰かに見てもらうことよりも自分の今いる場所を確かめる作業。
お付き合いいただける方、どうぞいらしてください。

イカラシ チエ子

作品の参考動画。
2014年11月 杉並区アートスペース遊工房での村上郁さんの個展にて。
オープニングパフォーマンス

 (Click!) 
センス の身に付け方をわたしに教えてくれた人がいる。
その人のもとで5年働いた。

何も知らなかった。
だからたくさん色んなものを見せていただいたし色んなことを教えていただいた。
その人は古いものを好んで集めていた。
最初は共通性が見えなかったけれどだんだん、だんだんわかるようになってきた。
人の手の温もり、想い、そこに見える仕事ぶりをその人は集めていたように思う。
その人の好みは分かったけれどそこに宿る、自分に置き換えられる本質のようなものはまだ見つけることができていなかった。
だから こういうものを作りなさい と言われてもどんなものを作ればいいのかわからず、
カタチを真似たり、色合いを真似たりそんなことしかできず、
『いいものを見てるんだからいいものを作らなきゃいけないんだよ、作れるはずだぞ』と腹を立てられたりしたものだ。

分からないから誰よりも資料部屋と名付けられたとんでもない数の服が置かれた部屋によく行った。
分からないからボスの集めた世界中の素晴らしい写真集もたくさんたくさん見た。
分からないから作ったものたくさん見てもらってたくさんボロクソに言われた。
だけど分からないなりに作る感覚は少しずつ身に付いていたような気がする。

ある日
駅ビルのエスカレーターを下っていると書店の平置きコーナーにあるとても美しい表紙の本が目に入った。
『 ひろしま 』と書かれたその表紙には古い花柄のシャツが写っていた。
美しさに意識を奪われ、どんな内容の本か考えることなくページをめくる。
美しさと悲惨さのコントラストが強すぎて混乱した。
この本は写真家の石内都氏が撮った原爆遺品の写真集だった。
原爆が落ちるまでここに載っている衣服たちは日常を彩るものだった。
戦争 = 灰色、セピア
色の無い景色のイメージしか持てなかったけれど、こんなにも美しいものが日常にあったことに初めて気付いた。
そしてその衣服には 人の手 が感じられた。
近所の洋装店で仕立てたものか、お母さんやおばあさんの仕立てたものか、近所の器用なおばさんが作ったものか…
どの衣服にも着ていたであろう持ち主とそれを作った人が浮かびあがって見えた。

未だにうまく言葉にできないけれど、
こういうものをわたしも作れたらいいな
と想いが湧いてきた。
悲しい歴史はもういらないけれど、どんな時代になったとしても日常を彩れるものを作ることができたらいいな と。
自分の作るべきもの、作りたいものに向き合えた瞬間だったと思う。

日常を彩る尊さを大切にしていきたい。 と。


それからも相変わらず怒られたけれど怒られ方は変わった気がする。
2011年3月11日、東京で経験した東日本大震災。
それを機に見えたこと、感じたこと、考えたこと… 大きな違和感を抱えてその人のもとを震災半年後に離れた。
その頃には自分なりのセンスが身に付いていたんだと思う。
だから大混乱と悲しみの中、自分のするべきことを見出せたんだと思う。
少し長い期間 何処かへ出かけるとき必ず持っていく本がある。
今日はなぜかその本を無性に鞄の中に入れて出掛けたくなった。

ひとり旅をしているような、言葉のうまく通じない場所で過ごすような
そんな心持の今日この頃なのかもしれない。
今日は心がえぐられることがありました。
想いだけでは続けられない ということを思い出しました。
心が体が パタリ と扉を閉めてしまうこともある。
ものを作ってきた中で一番悲しかった日のことを思い出しました。

慰めようもない出来事は、忘れるのではなく
こうして時々思い出して
今自分のいる位置や場所や在り方を確認する
そんな材料に、肥やしにしてしまえ。

そして今続けられるカタチを見つけられたことに改めて深く広く感謝。

いつか いつか とわくわくその日を待ちわびる いつか
と、
いつか いつか と 祈りのようにその日を待ちわびる いつか
と。

工業用ミシンを手に入れることはわたしにとっては後者だった。
お金を出せばいつでも買える。
けれど、ご縁やタイミングで買うべきだと思っていた。
10月、ご縁もタイミングも揃ったようで、工業用ミシンを譲りたいとのお話をいただく。
11月、ご縁もタイミングも揃ったようで、工業用ミシンを導入する作業場が見つかる。
来週、ミシンがわたしの元へやってくる。

いつか いつか と 祈るようにその日を待ちわびていたら、
その いつか は わくわく待ちわびる いつか に変わっていた。

そうやって ひとつ ひとつ 叶っていく。
こうやって ひとつ ひとつ 夢は現実になっていく。