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生まれ育ったまちの音、匂い、色というのはその場を離れるまで当たり前でしかなく、特別なことだと教えられても実感無くして気づけない。そしてそれは気づかないうちに自分の中に根を張り巡らせているものだと思う。


世界的にも有名な金物・金属加工・洋食器の産地【燕三条】で生まれ育ち、高校は繊維の産地【見附】で学び、五十嵐と書いて【イカラシ】と読む。
自己紹介から話のネタが豊富で名刺を持たなくても名前を覚えてもらえることが多かった気がする。
それぞれが知っている薀蓄をたくさん教えてもらった。
産地で育つこと、その地域特有の姓を名乗ることは離れれば離れるほど誇りに思えた。

両親の仕事も地場産業に関わる内容だったので、いろんな台所用品がうちには溢れていた。
スプーン、フォークは本当にたくさんの種類がバラバラにあった。
キッチンツールのサンプルがたくさんあった。
説明されないと何をする道具なのかわからないようなものもあった。

口に含んだ感覚とそれの食べ物との相性は子供の頃から拘りが芽生えた。
便利や簡単、発明や発想が形になったものが身近にあった。
何かを作る仕事を今しているわたしは燕三条の恩恵を確かに受けて育っていると振り返る。
それは作るモノにもきっと表れている部分もあると思う。


「燕三条は世界的な金物・金属加工の産地です」
間違いない事実だけれど、おかげさまだけれど、それを言われる度に生まれ育ったまちに帰ってきて繊維業の端くれ仕事をしているわたしは疎外感を感じる。
繊維の産地に行けばいいのかな なんて一瞬頭を過ったりする。
過るだけで正しい答えではないといつも思う。
そして疎外感からこの地域で私が活きる方法を考える、探る。
疎外感から活力を得る。

「燕三条は世界的な金物・金属加工の産地です」
言われれば言われるほどとってもいい。
じゃあわたしはこの地域で何をしようか、何ができるか って、挑戦を受けたみたいでわくわくする。
この地域で私が地場産業ではないモノづくりを始めたこと、続けることはとても意味があることのように思う。


産地を大事にする、産地を売りにする。
誠に結構なこと、重要なこと、必然。
でも、もうその次のスタイルに移行しつつあると思う。

はっきり言葉に表せないけれど、燕三条という地域に異業種で拠点を持つ面白さを実感しワクワクしている。


燕三条 で わたし、どうなる。