感情を無くせば楽になると思っていた。
だけど 楽しい気持ち、ワクワクする気持ちも無くしていたんだって気付いて。 そしたらあなたのことを思い出した。 今まで出掛けるのが億劫だったけど、お出掛け着をあなたに作って欲しくて。 2年前にほんの一度、短い時間お会いした方。 一筋の涙と一緒にご注文を承った。 衣服とは、どれほどまでに心に寄り添ったものなんだろう と計り知れないことの大きさに心が震えた。 |
MoMAでモネの睡蓮をほぼ貸切状態でベンチに腰掛けて観ていた時
隣をふと眺めるとヴォルフガング・ライプが座っていた。 下で彼の作品を観たばかりだったから、何が起こっているのか一瞬わからなくなった。 (Click!) モネの絵にヘーゼルナッツナッツの花粉がぼんやり滲むような モネの絵の中から彼が出てきたかのような この絵は彼が描いたものだったかな 彼はモネだったか… な みんながモネ展に行っているようなのでモネにまつわる思い出が蘇った。 |
深夜に
起きてる? 電話していい? と なんとなく仕事の相談っぽくメールが来るけど 電話に出てみたらその声はか弱く不安でいっぱいなことが最近重なる。 絶対に弱音を吐かず、悔し涙も人前では流さないだろうと思っていた友人が 電話越し 不安に押し潰されていた。 かわいい愚痴しか言わず、辛くともよく笑う。 一瞬不安が掠めても うん、大丈夫 と ころっと変われたはずなのに。 その重圧がほんの少し伝染し その辛さに うん うん と相づちをうちながら なんだか辛くてわたしの頬も涙が静かに流れる。 決して一緒に泣いて欲しいわけではないから 泣いていることを悟られないように うん うん とただ相づちをうつ。 みんなそれぞれに それぞれの世界で生きて戦っていて ほんの少し ときどき その世界を しゅっ と見せてもらえて 胸が苦しくなったり 清々しくなったり 楽しくなったり どこにいても 世界 はすぐそこにあって 広くて小さい そして美しい。 |
何でもないがある
と またその人は言って 他人ではない と別の人は言った 景色の中に 緋の色を知った さまざまな自分の至らなさにまたも落ち込んだ でもその窪みは何かが入るための うつわ でもあると思う。 |
縁もゆかりも無かった街に
知り合いがたったひとりできるだけで その土地を訪れる理由になり 訪ねたことで知り合いはどんどん増え いつの間にか自分にとって大切な人がたくさん住む かけがえのない街になる わたしの住む街が彼女にとってそうであれば嬉しい。 友人 という言葉では括れない、どこか 他人ではない 東京を拠点に活動する写真家 阿部萌子の展示が三条ものづくり学校と新潟市 BOOKS f3で9月より開催されます。 「わたしの写真は一枚では言葉になりえない、一枚は一文字であって、連なった時に言葉を生む。それは人それぞれに 愛している 会いたい 逢えない … さまざまだと思う。」 そんなことを口にしていた。 写っているものは明確に言葉にできるかもしれない。 けれどその一枚から受け取るものは不確かで儚い。 写真はそこにあり続けるようで、一瞬を切り取ったものでしかないから かな とも思うし、 彼女の気持ちが揺れ動き続けるからかな とも思う。 遠くから来た彼女が写した遠くの街の写真の中に わたしたちの住む街や暮らし、愛おしい人を思い浮かべるきっかけがたくさん散りばめられているように感じるのです。 彼女を知ることでより多くのメッセージやカケラを拾うことができるのではないか と、トークショーを企画しました。 あえて作品の前ではなく、少しゆったりと一緒にお話ししているような距離感で。 《 写真家 阿部萌子 の 写すもの 紡ぐもの》 2016年 9月16日 (金) 19:00〜21:00 (受付 18:45より) 場所 ツバメコーヒー 燕市吉田2760-1 コーヒー・おやつ付き 1500円 お申し込み info@toikarashi.com ※翌17日はBOOKS f3にて作品に関するトークショーがおこなわれます。 2015年秋、新潟に家族旅行として訪れた彼女は日本海に沈む夕陽を見て 母であることも 妻であることも 友人の存在も忘れ、一心にシャッターを切っていた。 その姿を見て夕陽を見たいなんて思わなかった、彼女の背中を通して美しい日の入りを見せてもらったから。 ---------- 彼女の作品を見る上で 心地よい余白を与えてくれるようなフライヤーが県内の幾つかの場所に設置されているようです。 是非どこかで出会い手に取ってください。
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