hickory03travelers 近藤実可子さんの個展へ。
春山登山展から緻密で繊細な刺繍の世界を描く彼女に興味が湧いた。
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2013年初頭、自分に何ができるのか分からなくなり何か作らなければ… と必死の思いでインスタレーションで作品を生み出した私が一筋の光のように確認できたのは「針と糸を持つこと」、ただそれだけだった。
わたしの見つけた それ は装飾の それ ではなく、何かと何かを繋ぎとめる、カタチを作る為の それ だった。
【 刺繍 】という表現もまさに それ ではあるけれど、わたしが最も不得意とする表現であったし、気が遠くなる作業、気の重い作業… とにかく自信のない表現なのだ。
同じ「針と糸を持つこと」を表現とする人として、尊敬と憧れの眼差ししかない。

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縫い目ではなく布を装飾するための糸は光を得て美しくそこにあって…
明るい照明を当てるではなく、ほぼ自然光の中しっとりとした明るさの部屋で作品は展示されていた。
光沢のある糸の光の当たりがとても柔らかく、鈍いけれどしっかりと優しくこちらへ届く。
能装束の煌びやかさは薪や蝋燭の灯りの中でこその表現、それに通ずるものを感じた。
「スモールシーズン」と名付けられた連作に彼女を育んだものがしっかり現れていたような気がした。
新潟の厳しく長い冬、太陽の光を阻む厚い雲に覆われた季節を過ごす中で、これから来る春・夏・秋の美しい景色に思いを馳せる。
そうすること冬ので厳しさも必然と感じたりそこに美しさや恵みの巡りを感じられるようになる。
もともと農作業のできない冬、女性は家の中で針を持つことをずっと繰り返してきた、そこに希望や祈りを込めて。

近藤実可子さんの作品には可愛いらしさの中にそんな昔から脈々と続いている「針と糸を持つこと」を感じさせられた。

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刺 さす
繍 ぬいとる
いとへんに粛。
〖粛〗 つつしむ
心をひきしめて、正しい形で行う。つつしむ。


心をひきしめ、つつしみをもって糸で刺すのですね、刺繍とは。